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X'mas マンホールのフタに見~つけた!
先日出かけた長野県安曇野の池田町を犬と散歩していて
「おっ、シーズンものじゃん!」とワタシを驚かせたのがコレだ!



モミの木にオーナメントとして飾りたいくらいかわいいデザイン。
でもでも、よ〜く見てください。マンホールのフタです。



聞くところによると、池田町出身の浅原六朗が作詞した、
童謡『てるてる坊主』にちなんだマークだそうです。

実はワタシ、行く先々で目にするマンホールのフタが好きです。
観光地のそれはデザイン的に凝ったものが多く、
大阪城付近ではお城、横浜はベイブリッジだったり。

そうそう忘れてならない山梨ですが、
地元高根は牛&高原。お隣りの須玉はなぜかオコジョ。
他にもオオムラサキ、ブドウ、モモ等バラエティに富んでいます。

これらの写真はまたこの次の機会に。

by taeko
| owlstyle | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
長崎・軍艦島&瀬戸内海クルーズ
廃墟と船旅好きのカミさんのたっての希望で実現した旅。
軍艦島についてはカミさんが前回のブログで書いたので
今回はこの旅の全体の流れを…。

朝8時自宅近くの長坂ICを出発したバスは一路大阪へ。
夕暮れ迫る大阪南港フェリーターミナルを「名門大洋フェリー」は出航。


荷物を持ったお年寄りには…いや、私にもこのタラップはキツイ!

初体験の二等洋室は狭い通路の両側に二段ベッドが4〜6個並ぶレイアウト。
暑すぎた空調とエンジンの振動で熟睡できないまま早朝の福岡新門司港着。バスはそのまま長崎へ。
午前は眠い目をこすりつつ長崎原爆資料館、平和公園などを見学。


平和公園…何か怒ってる?

天候によっては1/3はできないという軍艦島上陸だが、
予定の日程(3日目)では上陸が怪しいとみた添乗員の機転でこの日の午後に変更。
このツアーのメインイベントは無事達成できた。これにはカミさん大満足!
ちなみに3日目だと上陸できなかった(汗)。


上陸者には上陸証明書が発行される

翌日は坂本龍馬ゆかりの風頭公園、亀山社中跡、グラバー園などをまわり


風頭公園の龍馬像


龍馬達が日本で初めてつくった会社といわれる「亀山社中」跡


長崎市街を臨む龍馬通り…カーブミラーに

午後は福岡太宰府天満宮経由で門司へ。

太宰府天満宮…何撮ってるの?

帰りのフェリーは修学旅行の中学生で満室状態(フーゥ!)だったが
おかげで船室は特別二等に…各ベッドにテレビが付いてカプセルホテルの様。


朝日の中の明石海峡大橋はとてもきれい

大阪からは道も空いていて予定より2時間近く早い帰宅となった。



幕末の混乱、原爆投下の悲劇、そして高度成長期を支えた炭坑の閉山。
日本史のターニングポイントに関わってきた長崎の魅力を再確認できた旅。
移動、移動で結構ハードな3泊4日だったが、この充実感はハマるかも(笑)。
カミさんに感謝!

by masami
| owlstyle | 13:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
軍艦島への旅
《おおざっぱな軍艦島の説明》
長崎港から南西約19kmの沖合に位置する『端島』。
総面積63000㎡という小さな海底炭坑の島で、岸壁が島全てを囲い、
高層アパートが立ち並ぶ島影が戦艦「土佐」に似ていることから『軍艦島』と呼ばれたという。



1891年から1974年の閉山まで1570万トンもの石炭が採掘。
その原動力となった人たちは「一般サラリーマンの3倍の収入」に魅せられ、家族とこの島に渡ってきた。
この小さな島に最大、当時東京都の9倍の人口密度にあたる5300もの人が。
そして、1916(大正5)年に日本最古の7階立て鉄筋コンクリートの高層アパートが建てられた。
生活に必要とされる学校、病院、マーケットはもとより、
神社、郵便局、理髪店、飲食店、テニスコート、バー、パチンコ店などもあったという。
裕福な生活は、三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)といわれた電化製品の普及率が
本土で2割に過ぎないころ、ほぼ100%だったという生活が証明している。
しかし、エネルギー革命により、石炭から石油にエネルギーの需要が移り、
出炭量も人口も次第に減少。1974年1月に閉山。同4月に無人島となった。



今回の軍艦島行きは、数年前に見たテレビがきっかけになった。
テレビでは、リポーターがアパートの内部や住民が往来していた通路などを案内。
ガレキの山に足を取られたり、崩れ落ちそうな壁に手を置いてみたり、
それは、リアルに35年以上雨風に放置された孤立した『街』をうまく表現していた。
見たくて合わせたチャンネルではなかったけれど、心に刻まれ「いつか」と思っていた。
そして一ヶ月前、たまたま目にした国内旅行パンフレット。
そこには『軍艦島と瀬戸内海クルーズ』とあり、大好きなフェリーにも往復乗れるという内容が。

長くなるので、以下は上陸後の話。
実際には上陸しても自由に歩きまわれるわけではない。
見学道が炭坑場側に整備され、3ヶ所で専門のガイドがつき当時の写真と合わせての解説を聞く。
居住等の建物から数百mも離れた場所からの見学となる。
上陸して圧倒されるのは、そこここに放置された、はがれ落ちたコンクリートやへしゃげた鉄筋。
その向こうに裸になった階段やアパートが、当時そこに生活があったことを伺わせる。
ずっと持っていた炭坑のイメージからかけ離れた『街』のレイアウト。
ここでもたくさんの事故がおき、命の物語もそれぞれにあったはず。
時代に翻弄された人びとが集まり、生活した島。
すごく昔の話ではなく、昭和49年まで、私が産まれていた時代にこれはあったんだ、と思うと感慨深い。










photo by masami

長い眠りについていたこの島は、2009年世界遺産暫定リストに掲載された
『九州、山口の近代化産業遺産群の構成資産』のひとつとして認定されたという。

by taeko
| owlstyle | 19:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
約束の日光旅行
他界するまでの10年は脳出血で寝たきりになっていた母。
まだ元気だったころ、
テレビを流しながら縫い物をしていた手を休めて、
「日光に行ったことないの。行ってみたいわ。」と突然言い出した。
きっと画面に映し出されていたのだろう。
「いいよ。いつか行こうね。」その場しのぎの返事をした。

なぜかそのやりとりが、ここ数年、頭から離れずにいた。
10日ほど前の新聞の折り込みチラシに「日帰り日光の旅」の文字。
「行こう!」
中禅寺湖紅葉のニュースを耳にしたのも、機動力につながった。

朝5時に集合。
コーヒーとお茶のポット、おにぎりを持ち、バスに乗り込む。
小学校の修学旅行以来の日光だ。
長い車内の移動中は、現役をとっくに引退してもおかしくないガイドの女性が、
いまさら?の「国定忠次物語」を歌にのせたり語ったりしてくれた。
バスを降りての見学は東照宮と華厳の滝のみ。



東照宮はこんなにも小さく、古ぼけていたか。



「見ざる、言わざる、聞かざる」のお猿の姿もしっかりと目に焼きつけた。
40年以上前の目線との違いが楽しい。



2時間ほど観てまわり、今度は華厳の滝をめざす。
華厳の滝は霧に包まれ、眺望台まで行くが、音しか聞こえず、時間切れ。
やけくそで食べた、「きのこすいとん」がことのほかおいしかった。
そして再び車上の人となる。
バスに乗った途端視界が開け、「中禅寺湖」「いろは坂」は
すばらしい紅葉に彩られた景色。
封筒に入れていたた母の写真もここでは出して、
小さな声で風景を説明しつつ、窓の外に向けてみた。
隣の席には母の代わりにダンナが座っていた。
おままごとのような私の気持ちに
「写真こっち向けてあげれば?」などと付き合ってくれた。

だいぶ遅くなったけど、
3年前に他界した母との「15年前に交わした約束」を果たせた一日だった。

by taeko
| owlstyle | 23:34 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |

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