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軍艦島への旅
《おおざっぱな軍艦島の説明》
長崎港から南西約19kmの沖合に位置する『端島』。
総面積63000㎡という小さな海底炭坑の島で、岸壁が島全てを囲い、
高層アパートが立ち並ぶ島影が戦艦「土佐」に似ていることから『軍艦島』と呼ばれたという。



1891年から1974年の閉山まで1570万トンもの石炭が採掘。
その原動力となった人たちは「一般サラリーマンの3倍の収入」に魅せられ、家族とこの島に渡ってきた。
この小さな島に最大、当時東京都の9倍の人口密度にあたる5300もの人が。
そして、1916(大正5)年に日本最古の7階立て鉄筋コンクリートの高層アパートが建てられた。
生活に必要とされる学校、病院、マーケットはもとより、
神社、郵便局、理髪店、飲食店、テニスコート、バー、パチンコ店などもあったという。
裕福な生活は、三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)といわれた電化製品の普及率が
本土で2割に過ぎないころ、ほぼ100%だったという生活が証明している。
しかし、エネルギー革命により、石炭から石油にエネルギーの需要が移り、
出炭量も人口も次第に減少。1974年1月に閉山。同4月に無人島となった。



今回の軍艦島行きは、数年前に見たテレビがきっかけになった。
テレビでは、リポーターがアパートの内部や住民が往来していた通路などを案内。
ガレキの山に足を取られたり、崩れ落ちそうな壁に手を置いてみたり、
それは、リアルに35年以上雨風に放置された孤立した『街』をうまく表現していた。
見たくて合わせたチャンネルではなかったけれど、心に刻まれ「いつか」と思っていた。
そして一ヶ月前、たまたま目にした国内旅行パンフレット。
そこには『軍艦島と瀬戸内海クルーズ』とあり、大好きなフェリーにも往復乗れるという内容が。

長くなるので、以下は上陸後の話。
実際には上陸しても自由に歩きまわれるわけではない。
見学道が炭坑場側に整備され、3ヶ所で専門のガイドがつき当時の写真と合わせての解説を聞く。
居住等の建物から数百mも離れた場所からの見学となる。
上陸して圧倒されるのは、そこここに放置された、はがれ落ちたコンクリートやへしゃげた鉄筋。
その向こうに裸になった階段やアパートが、当時そこに生活があったことを伺わせる。
ずっと持っていた炭坑のイメージからかけ離れた『街』のレイアウト。
ここでもたくさんの事故がおき、命の物語もそれぞれにあったはず。
時代に翻弄された人びとが集まり、生活した島。
すごく昔の話ではなく、昭和49年まで、私が産まれていた時代にこれはあったんだ、と思うと感慨深い。










photo by masami

長い眠りについていたこの島は、2009年世界遺産暫定リストに掲載された
『九州、山口の近代化産業遺産群の構成資産』のひとつとして認定されたという。

by taeko
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